物語。

宮崎県 西都市の偉人🌟
塩月桃甫さんの生涯を
映画化された
(脚本・監督)
小松 孝英さんとも
約20年ぶり?くらいの再会でした🤗🎥🎞✨

塩月桃甫という方の人生に触れて
感動と感激と
このような偉人の存在を
ずっとこの先も伝えていきたいと
思いました。

塩月桃甫|日州ドキュメンタリー – 塩月桃甫 ドキュメンタリー映画

※ 上映は席数を少なく制限してあります。ソーシャルディスタンスでマスク着用の上、会場内では無言で宜しくお願いいたします。約100年前、日本統治時代の台湾に渡った 一人の宮崎出身の画家がいたあの激動の時代に生きたアーティストにとっての ”自由”とは何だったのか?塩月桃甫(1886-1954宮崎県出身)は、戦前の日本統治時代の台湾に初めて西洋美術を普及させ台湾美術展覧会を創設し、台湾美術界に多大なる貢献をした画家である。塩月桃甫ドキュメンタリー映画制作発案者のアーティスト小松孝英は、9年前より台湾の国際アートフェアに多数出品するなどしており、現地で塩月の名を聞く機会も多く、関係者からすすめられ関心を持った。そんなある時、宮崎県児湯郡の骨董屋で塩月桃甫の描いた台湾原住民族(先住民)の油絵と出会う。しかし、調べて行くうちに台湾での知名度、貢献度とは対照的に日本ではほとんど知られていないことを知る。大正10年、塩月桃甫は日本政府側の教育者として台湾に渡り、台湾原住民族やその文化に魅せられていくが、日本は同化政策さらには戦争へと突き進んでいく・・・激動する時代と矛盾していく自身の環境の中、塩月桃甫はどのような事を思いどのように表現していったのか。小松はこの約一世紀前の同郷の画家を追いかけるにつれ、アーティストにとっての「自由」とは何か考えさせられる。塩月桃甫の息子・小説家の塩月赳 (太宰治の親友であり「佳日」のモデル)や塩月桃甫と深く関わった芥川賞候補の小説家・中村地平(宮崎太陽銀行の前身・宮崎相互銀行社長/太宰治の「喝采」のモデル)や三尾良次郎(台湾から引き揚げ後、初代日向市長)など塩月桃甫を取り巻く人物も興味深い。宮崎県西都市に生まれる。本名は永野善吉。宮崎師範学校卒業後、塩月家の婿養子となり東京美術学校図画師範科に入学。卒業後に9年間教職に就いたのち大正10年35歳で台湾に渡る。 以来終戦まで約25年間台湾美術界の重鎮・教育者として台湾美術展覧会を創設するなど振興と近代化に貢献した。 塩月桃甫WEBギャラリー 宮崎県延岡市出身のアーティスト。九州デザイナー学院卒。 20代の頃よりロンドンやニューヨーク、香港など世界10ヵ国で個展開催やアートフェアに出品している。 国連施設や延岡市、アジア企業などにコレクション多数。 国文祭・芸文祭みやざき日南市総合プロデューサー。延岡市観

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一人、一人の人生が
物語📖✨

明日はどんな
1ページになるのでしょうか😊

CHIHARU KUROKI OFFICIAL WEBSITE

黒木 千春 CHIHARU KUROKI (Kan Promotion 所属) 3月1日生まれ 女優。宮崎県出身。 2006年みやざき花の女王。東京に拠点を移し2010年に実の姉と姉妹デュオ「黒木姉妹」を結成、歌手としてメジャーデビューを果たす。2015年からは女優活動を本格化。 ドラマ・映画・舞台へ出演し 演歌も歌える女優として活動中。 2021年からは世界へ配信もスタート!